「LOTUS」第38号は「吉村毬子追悼号」
金襴緞子解くやうに河からあがる 毬子
逃水や同じ匂ひの蝶の跡 〃
毬つけば男しづかに倒れけり 〃
朝櫻傀儡は深くたたまれし 〃
水底のものらに抱かれ流し雛 〃
水鳥の和音に還る手毬唄 〃
昨年夏、同年代の人の突然の死の知らせは驚きと朧げな後ろめたさを伴った。
その前年だったろうか拙句集『泉』のお礼状をいただいたが、それは
「「リフレインする泉―杉山久子句集『泉』に寄せて」」と題された評論になっていて恐縮した。
さらに毬子さんの句集が手元にないのでと、なんとご本人手書きの句集『手毬唄』を同封して下さっていて、益々恐縮。
評論は私の師匠でもある黒田杏子の句や毬子さんの御師匠である中村苑子の句も絡めて書いてくださっており、この二人が親しかったこともあり、私にも親しみを感じて下さっているようだった。
「どこかに発表して頂ければ私の『泉』への思いをご理解、共感される方々がおられるかもしれません」と書かれてあり、多少動いてみたが私にはその術がなくその話はそのままになり、心残りとなった。
元気になったら山口にも行ってみたいと書かれてあったので、私はそれが実現するだろうとぼんやり感じていた。
結局この世では会えなかった人だが、いつかあの世に行ったとき、毬子さんを見つけられるような気がしている。
毬拾ふ水の匂ひの濃きあたり 久子
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